中尾元子 82年史 その2

母は3人の子どもの世話から手が離れると、つまり末っ子の私が小学校に行くようになると、自宅でピアノ塾を始めました。一方、父は絵画塾を土・日曜日に開き、平日の夜には大人向けの絵画塾を運営していました。夜の絵画塾には母も参加していたのですが、やがて自分でも画家として油絵を描くようになりました。この写真は、1962年のもので、自宅で油絵を描いている母です。前回の「その1」で紹介した絵が壁に掛かっています。

508-motoko_painting.jpg

 

 

 

小学校の学芸会で私が舞台に出て観客側を見ると、百人以上の父兄がいても、すぐに母が分かりました。なんせ、茶髪ですから。

507-motoko_goldenhair.jpg







関連記事

  1. 中尾元子 82年史 その1
  2. 訃報 中尾元子
  3. 中尾元子 82年史 その3
  4. 母は尊い
  5. 中尾元子 82年史 その4
  6. 中尾元子 絵と人生(1930〜2012)
  7. 中尾元子 82年史 その5
  8. 四十九日

ピックアップ記事

2万トンの原料糖の山

三井製糖・千葉工場を取材した折、生まれて初めて原料糖の山というのを見ました。工場倉庫に保管された2万…

【ISOS Review】 不適合を絶好の機会に

不適合は仕事のやり方を改善する絶好の機会です。折れそうになる心を支えるためにそう思うことにしましょう…

水を得た酉

20年前。子供2人を連れ、妻と一緒に温水プールへ。しばらく幼児用プールで、私が長男、妻が次男を受け持…

Food Safety Day Japan 2013(12) 荒茶はGGAP 製茶はFSSC

GFSI(Global Food Safety Initiative)主催による「フード・セーフティ…

JAB環境ISO大会 速報

テーマの背景【井口新一氏】JAB主催の「環境ISO大会」が2月19日、東京・有楽町朝日ホールで開…

アーカイブ

ツール

規格

PAGE TOP