中尾元子 82年史 その3

母は1961年からほぼ独学で洋画(油絵)を描き始めましたが、1967年に日本画に転向しました。日本画といっても、古風な画風ではなく、従来通り抽象画(一般人から見れば、いわゆる訳の分からない絵)を描いていたのですが、絵具に岩絵具(いわえのぐ)と泥絵具(どろえのぐ)という日本画材料を使用していました。日本画材料を使って、訳の分からない絵を描くこと自体、当時としては破天荒なことだったようで、母の目論見通り、画壇で大いに注目されました。この写真は、日本画の下絵を描いている母(1967年)です。

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これは、1971年に「文部大臣奨励賞」を受賞した時に、受賞作をバックに記念撮影したものです。母は41歳、画家として油が乗ってきた時期です。

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ただ、母の絵が少し有名になって、描いた絵が売れ出しても、それで飯が食えるというほどでは全然なくて、母による「中尾ピアノ教室」と、父による「中尾絵画 教室」という夫婦による塾経営が主要収入でした。お稽古事には必ず発表会というのがあります。この写真は「中尾ピアノ教室」の発表会で主催者を代表して挨拶を行う母(1974年)です。

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