【震災寄稿 No.9】 福島の浜通りが日本地図から消されないために(1)

福島県いわき市に勤務先と自宅があるShikaさんからのご寄稿です。
地震発生から現在に至るまでの会社のこと、自分のことを記述されています。
本日と明日の2回に分けて掲載します。
ご寄稿ありがとうございました。

福島の浜通りが日本地図から消されないために(1)
Shika 著

東日本大地震の被災者の皆様に心から御見舞申し上げます。
それから、多くの皆さんが、被災者の方のために義援金を送ってくださったり、何かお手伝いをと考えて頂いていることに対して、とても感謝し、御礼申し上げます。

その気持ちを何年か持っていただけるのであれば、東北が復興の兆しを見せたときに、東北でお金を落としてください。東北の経済活性にご協力ください。

会社のこと、私のことを、時系列でまとめたいと思います。
私の勤務地及び自宅は福島県いわき市にあり、原発からの直線距離40数キロに位置します。

【3月9日 大地震前】
埼玉の工場で外国の協力工場さんと打合せ中に結構大きな地震があり、お客さんに「日本は地震国だから、このぐらいは平気ですよ」なんて、軽口をたたいていました。その後にこんな大きな地震が来るとも思わずに…

【3月11日 大地震当日】
(会社のこと)
当日は、工場で勤務していました。工場は、大量の毒物を扱っている工場で、製造中でした。工場には、お客さんが2組いました。1組は、愛知県からのお客さん。もう1組は社内(茨城県、東京都)でした。

地震発生後、愛知県のお客さんは、東京の営業担当者が社有車にてすぐに関東まで送りました。社内のお客さん(所属が異なります)には、社有車を貸すこととし、翌日返却してもらいました。会社へは各所から生存の確認の連絡がありました。

2ヶ月前にEMSの定期審査があり、緊急事態が弱いとの事から、見直していたこともよい方向に働きました(大地震前にも震度3程度の地震があり、連絡体制 や報告書が上がっており、緊急事態を見直していました)。毒物漏洩という最悪のシナリオは全くなく、毒物の取扱のエキスパートがその力を発揮していたと思 います。

会社の工場は、硬い岩盤の上に建っており、その分他所と比べると揺れが小さいのも幸いして、工場建屋や製造設備に問題はありませんでした。地震後も停電時 間は20分程度でした。工場の近くに浄水場があり、水が止まる事はありませんでした(震災後一度も止まりませんでした)。工場としては、地震が多少収まっ た後、とりあえず14日まで帰休と言うことで、解散しました。

(私のこと)
地震発生後、サーバーの電源を落とし、担当場所の確認をして、課員の安全を確認した後、担当エリア内の電源を落とし、薬品類の廃棄等への対応を指示して、 打合せに出席しました。その途中で、関東や中部地方にいる仲間から、バンバンメールが入ってきます。津波の話も入ってきました。課員に帰休の旨を通知し、 嫁に確認メールを送って、工場を後にしました。

途中で、コンビニに寄り、手軽に食べることができるパン類の確保をして、家に帰り、風呂を洗って、水を汲みだめしました。家も、山の上なので、損傷はありませんでした。電気も一度も止まっていません。水は、1日半後に断水しました。

嫁の実家が小名浜地区で、海に近いことから、嫁が、自分が勤務する会社からすぐに見に行きました。その会社は、地震の揺れが収まった後、すぐに休業の判断 をしたそうです。幸いにして、嫁の実家の津波被害は、隣の家、三軒向こうの家、道路挟んだ向かいの家までで、紙一重でした。床上、床下浸水もなく、駐車場 まで水が来たとのことでした。

余震もあり、津波警報が発令していて、いつまた津波が来るか心配だったので、すぐに我が家に避難をしてもらいました。義父母の話によると、津波の第一波はたいしたことなく、3時過ぎの第二波、三波がひどくて、第一波で様子を見に行った人がさらわれてしまったようです。

【3月12日-13日】
土日は、そのまま過ごしていました。しかし、地元の情報は、地震当日から、原発はよくない方向に進んでいるとの情報が流れていました。

【3月14日】
(会社のこと)
通常通り出社し、被害状況の確認をしました。従業員の家族の被害(被災)状況の確認をして、家が流されてしまった従業員は、社宅の手配等であたふたしまし たが、各課とも、危険物・毒物の始末をして、きちっと鍵をかけて休業としました。休業になれば、各自の判断で、原発から自主避難できるからです。

会社は、電気・ガス・水道のライフラインは生きていたので、水道水の開放と風呂の開放を決めました(風呂は、ガスがなくなるまでですが)。

(私のこと)
通常通り仕事をしていました。3月22日からシンガポールに出張の予定だったのですが、まだ行くかどうかの最終決定が出ていませんでしたので、その準備とその他雑多な仕事に追われていました。

会社にはサーベイメーター(放射能による環境汚染を監視したり、放射性物質による器材汚染を検査したりするのに用いる可搬型の簡便な放射能測定器)があるので、それを探したのですが、必要なときに限って出てこない…そんなことがありました。

【3月15日】
(会社のこと)
いよいよ、原発がまずいというので、社員の現状情報収集とサーベイメーター探しに集中して仕事をしていました。東京の営業から、出荷の確認や指示の電話が 来ていたのですが、いわき市は被災地と思っていないらしく、「なぜ出荷できないの?」とあまりに頓珍漢な発言にがっかりしました。TVで、岩手県や宮城県 のことは放送されても、福島県は原発の話で終わっているようなので、仕方ないかも知れませんが…

(私のこと)
午後3時過ぎにサーベイメーター探しをあきらめ、実家(千葉)に避難するため、いわきを出発しました。義父母は、義姉の旦那の実家である福島県伊南村に避難しました。

常磐高速は、全面通行止め(緊急車輌はOK)ですが、とある情報から、いわきからの避難といえば高速に乗れるという話を聞き、乗りました。道路情報がわか らないので、60km/h程度で走りました。ポツリポツリと走っている車もいました。水戸の手前ひたちなかで、掲示板に「この先対面通行」と言う表示が出 たので、ひたちなかで降りました。料金所で経緯を説明すると、車のナンバーと名前、住所等をチェックされましたが無料でした。

その後、途中で、ガソリンスタンド渋滞に巻き込まれたこともあり、6時間くらいかかって実家に着きました。実家は埋立地なので、液状化現象の心配をしていましたが、たいした被害はなかったように見えました。

【3月16日】
シンガポール出張の件で、東京に出社しようと思い、工場長に指示を仰ぎましたが、行かなくていいとのことで、一日実家にいました。どっちにしても、海外出張の有無をはっきりさせるため、東京に行く必要があったので、明日は東京へ出社することにしました。

【3月17日】
東京への出社は、計画停電があるとのことで、通勤ラッシュ時に電車に乗るのを控え、ちっょと遅く出社しました。東京の営業部では、いわきに残っている人に ついての必要物資についての調査をしていて、翌日に救援物資を各家に配送する手はずをしていました。ガソリン以外では、食料と水が不足していました。水 は、工場に来れば、あるのですが、工場に行くガソリンがないのが、つらいところでした。

社長らと海外出張の話をどうするか詰めたところ、結局、「行かなくては始まらないのであれば、行って来い」とのことで、計画通り行くことになりました。こ の海外出張は、埼玉の仕事なので、そのまま、埼玉の工場に出向き、打合せをすることとしました。計画停電のため、通常は1時間程度で帰れるところが、3時 間くらいかかってしまいました。おかげで家に着いたのは、ほぼ午前様です。

【3月18日】
昨日に引き続き、埼玉の工場で打合せと資料作成を実施しました。計画停電のため、出社時間をずらして出社し、帰りも昨日同様、午前様でした。

【3月19日-21日】
海外出張用に会社から携帯を授かっていないので、日本の会社や家族との連絡は、自分で用意することになりました。ドコモシッョプに行ったのですが、店員の 説明が的を射ず、いっそのことスマートフォンにと思ったのですが、希望のものがなくて、結局iPhoneを契約しました。出張直前まで、ドタバタです。

【3月22日-25日】
持病を持っており、シンガポールで食べられる物があるかどうか不明だったので、スーツケースに食パンを2斤とその他のちょっとした物を詰め、埼玉の工場で 打合せをしたあと、羽田からシンガポールに飛びました。日本と20℃以上気温差があるので、着る物が大変でした(夏服と冬服)。

シンガポールは、私と営業担当の2名で行きましたので、言葉はなんとかなりました。行きは機中泊で、なかなか寝ることができなかったのですが(前の乗客がシートを倒すと、私のひざに当たるので、何回も起こされました…)、何とかなりました。

シンガポールでは、仕様の打合せと監査と納期関係で、あっという間に時間が過ぎてしまいました。帰国は、成田だったので、嫁に迎えに来てもらいました。その頃には、既に関東では、ガソリンの入手は容易になっていました。

帰国後、携帯に「28日、管理職は工場に出社のこと」というメールが入って来ました。

【3月28日】
いわき工場再開についての打合せがあり、業者の手配が始まりました。ただ、業者さんは引く手あまたで、なかなかつかまりません。いわき外の業者は、原発の放射能の関係で、いわきに来ません。

【4月5日】
ちなみにいまだに、いわき工場の休業は、解けていません。
しかし、一刻も早い操業開始のため、有志が点検、補修をしてます。

(明日後編を掲載します)