月刊誌「アイソス」の編集をやって12年になりますが、このような記事は見たことがありません。ふつう、企業不祥事の暴露ものを書く人は、その不祥事の責任を問われない立場にいるものです。あるいは「匿名」という安全圏に身をおいたうえでモノ申すものです。
ですがヒロさんは違いました。定期審査中に生産部長から、やってもいない内部監査の記録を作ってくれと頼まれ、内部監査記録を創作し、それで無事審査が通ったこと、審査員と生産部長とは前日の酒の席でシナリオを作っており、審査員は創作というのを知っていてそこには踏み込まなかったことなどを、「山口博」という実名でアイソスに書いています。
「内部監査の記録を創作して書き終え、メール送信したとき、今まで必死になって社内の皆と格闘し、審査員とも何度も議論しながら築いてきたQMSを自分で畳み込んでしまったような気がしました。僕の役目は終わったと感じたのもこのときでした」(アイソス2010年4月号78-79p)
「なにもここまで書かずとも」と思いましたが、これがヒロさんの生き方なんでしょう。黙ったままでは、いられなかったのでしょう。
昨日、ISO14005のお勉強に名古屋に繰り出したついでに、名古屋駅付近の某書店に、アイソス4月号を買いにいきました。最初に普通の雑誌のコーナーを見ました。
が、見つかりません。ビジネスコーナーかなと思いましたが、見つかりません。ひょっとしてISOコーナーなんてあるかなと探したら、ISOコーナーがありました。ありとあらゆるISOの本が並んでました。でもアイソスは見つかりません。あきらめかけたときに、「機械」という専門コーナーに、ありました。
この書店では、アイソスは機械雑誌の扱いだったんだぁ!?
イソハドーグさんへ
よくぞそこまで粘ってくださいました! ありがとうございます!
確かにアイソス4月号の表紙には、コンパスという「機械」が描かれているので、機械雑誌と思われたのかもしれませんネ(笑)。
家元、こと日吉です。
久しぶりのアイソス日記です。
まだアイソスも読んでいないので・・・すみません。
中尾さんとは別な意味で衝撃は、
ヒロさんが「僕の役目は終わった」と言っていることですね。
真剣に取り組んだQMS・・・なのに
行われなかった内部監査
創作という捏造を依頼しなければならなかったこと
それを引き受けなければならなかったこと
それと知っていて審査員が踏み込むことができなかったこと
システムとして対策しなければならないテーマが一杯あります。
「僕の役目は・・・」終わったのではなく、
ここから「始まる」のではないでしょうか。
ヒロさんには、転んだまま泣いているようなことを書いていないで、
起き上って歩き出そうぜ!と言いたいし、
最終回を、「次のシーズンへの導入部」にして欲しいです。
せっかく、中尾さんが12年目にして初めてビックリするようなことを書いたのだから・・・
とはいえ、まずはアイソスを読んでから・・・
監査という活動が使い方次第で経営の素晴らしい武器になると、2004年1月号アイソスに登場させていただいて以来、各方面で説いてきた私には、監査というものを根底から覆すという意味で、衝撃的です。
第三者審査の場で不適合を指摘させない鉄壁の事務局と言われていた頃、審査中ではなく、審査直前という時期でしたが、似たような場面を迎えたことがありました。
関係部門長を前に、何をすべきかを必死で説きましたが、誰かが考え出した楽観論が支配し、正論を放つ私は孤立して行ったのが思い出されました。
もっと違う視点でリード出来たかもしれないとは思いますが、過去は変えることが出来ませんから。
第三者認証審査員をしている身として、“創作”という場面を作らせないようにと心掛けていますが、「不適合」=「悪い」という認識が強ければ強いほど、こちらの“良かれ”との思いは“誤解”されることも有るのかもしれないと、改めて考えさせられています。
また、各機関が厳しい競争に晒されている中で、組織側のコストダウンに協力した結果、寄せられた皺を一手に引受けざる得ない審査員が、苦渋の選択をしている場合もあるのではないでしょうか。
3月15日の某所の研究発表会事前資料を斜め読みした際、審査工数に関する負のスパイラルは、また更に加速するのではとの懸念を抱きました。
家元さんへ
<「僕の役目は・・・」終わったのではなく、ここから「始まる」のではないでしょうか。
たぶん、ヒロさんはその会社を辞めた後、次の会社からは自分の役目を始めておられるのではないかと思います。
TOMOさんへ
組織の事務局と審査機関の審査員、それぞれが監査において苦渋の選択を強いられる場面がある。その苦渋が、事務局員個人に、あるいは審査員個人に負担させられると、たまったものではないですね。やはり、それは組織があるいは機関が取り組むべき課題にしなければ、と思います。
何か身につまされるなぁ(^^ゞ
あからさまなデータ捏造は無かった(のハズ)けど、内部監査ならではの部分を逆手にしていたようなケースはありましたね。
例えば、ある設計部では設計をアウトソースしているのに「してません」と答え、無管理状態の部分を見せないようにして「これぞ内部監査の指摘回避の極意だ」と自慢したものの、他部署全員から呆れられていた担当者と部門長とか。
次の会社からは自分の役目を始めておられるのではないかと思います。
という計画性も無い自分は・・・
組織の事務局と審査機関の審査員、それぞれが監査において苦渋の選択を強いられる場面がある。
私はドライに「ダメなものはダメ」でしたが、少なくとも監査では「このままではマズいよね」を部門長と共通認識できるように運んでましたから、部門長から苦渋の選択を強いられたような記憶はないです(ウマシカ管理責任者からはたくさんの機会をもらいましたが(^^;))。
しかし、その苦渋が、事務局員個人に、あるいは審査員個人に負担させられると、たまったものではないですね。
部門長は納得しているのに、いわゆる“出来の良いISO担当者”から「それは事務局が悪いんだ!」と言われ、一度だけキレたこともありました(でも、どれも譲りませんでした)。
しかしこれは、事務局 and/or 監査員という立場だから出来たもの。第三者審査員となると、そうはいかないんでしょうね。
GAIさんへ
<しかしこれは、事務局 and/or 監査員という立場だから出来たもの。第三者審査員となると、そうはいかないんでしょうね。
第三者審査で現場でキレたために、受審組織からレッドカードをもらった審査員の話って何回か聞きましたね。
走る仔豚@来月はよろしくお願いします です。
懇親会後の迎撃よろしく To関東の皆さん。
で、仔豚の「健康診断論」的に考えりゃ良く有る話&それでどうしたいのという話ですよね。
検診前に酒やめて食事も控えて。。。。。。。で、良い結果が出たら暴飲暴食???
SPI対策本が出まわって、自分と違う自分像で入社試験を受けて、でどうするの?
審査を誤魔化して不適合を避けて、避けきれ無かったから社内で顰蹙を買うという風土。。。。。。
瑞穂の国ポイっちゃぁポイなぁ。
某認定機関で審査の厳格化とか有効性とか議論するよりも、審査の”お気楽性”を高める方が実は高かが有るようにも思います。
太陽と風なのかも。
審査なんて大したことないですよ。格付けでもなんでもないですから。御社フツーに問題なく仕事やってんでしょ。ハハハァW
不適合ですか、課題がありゃ一応出しますけど、是正してくれたらそれで問題ないですから。
ライバルに勝てるタメの種が見つかりゃ良いですね。
ま、普段どおりでお気楽にやりましょうよWWW
って感じで審査されれば多くの事務局が救われるのになぁ・・・
仔豚さんへ
<って感じで審査されれば多くの事務局が救われるのになぁ・・・
我が家に来ていたとある審査員は、審査中によくこんなことを言ってましたね。
「ま、普段どおりに気楽に行きましょう」
「ISOの審査なんて大したことないですよ」
「不適合が出ても気にすることはないですよ。是正すればいいんですから」
「フツーに問題なく仕事やってんでしょ、なら大丈夫ですよ」
しかし・・・なんですねぇ(^^ゞ
そもそも、組織がISOに対してどんな印象を持っているか(ISOを何だと思っているのか)って部分でずいぶん異なる結果になるんでしょう。これで仔豚さんチ(の事務局)は救われるのかもしれない、しかし、これで私(=事務局)が救われることはなかった、そんな事象であっただけという結果なんですけどね。
「ISOは事務局にやらされている仕事だから」
「認証のためには文書類を揃えなきゃいけないんでしょ」
「仕事には必要ないけど、ISOでは必要なんでしょ」
「やりますよ、ISO(の認証)のために必要なら」
こんな風に思っている組織(内の部署)があって、でも何らかの対応をしようとしてくれている場合、その考え方に対して是正していくのは苦労しますわ。でも、事前に話しもし、いろいろ手を尽くしたにしても、ある程度大きな組織だとどうしてもこんな認識をする“いわゆる出来の良い担当者”や部門長が存在してしまうようですね。
ってことで、私なりのこれまでの経験から来る考えでは、
「そんな考えで“いわゆるISOの仕事”をしていても認証できません!」
ってな認証制度にでもしないと、今のままでは無理なんじゃないかなと思う今日この頃ですね。
GAIさん おはようございます(という時間に書いてます)。
「ISOは事務局にやらされている仕事だから」
「これはISOに決まっているから」というのは、仔豚ンチでもよく聞くフレーズです。
その時の返事として「ジュネーブの皆さんがこんなことまで決めるわけ無いでしょ」を使っています。
ISO(の規格に)そんなこと決めている訳ないことまで、ISO規格に責任を押し付けてしまって、自分達の責任にしていない風潮になってしまっているのが不幸の始まりの気がします。
それは、受審側の責任もあるし、「ISOに決まっていますから」と法螺を吹いていた審査員側の責任もあると思います。
ISO規格なんてそんな凄いものではない。でも「勝てるQMS」は企業の身の丈にあって、必要とされるべきところまで高めないと行けない。
ここの使い分けでは無いでしょうか。
規格には決まっていませんよ。
で、それで御社競合さんに勝てますか?お客さんに喜んでもらえますか?家族に自慢のできる仕事になっていますか?
自己責任とせずに全てを他社のせいにしてしまうというのは、土着宗教まで遡る民族性論の議論になるのかも知れません。
他のお国の事情はよーーくは知らないのですけれど。