私/編集/出版事情 ISO機関誌に掲載 Posted on 2009年6月3日 ISOが発行している機関機関誌”ISO Management Systems”の2009年5-6月号に掲載された私の文章”Japanese journalist’s perspective on ISO management systems“を紹介します。全文はこちら(PDF)。 yusakunakao yusakunakao の投稿をすべて表示
暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう ですね。 登録数が減った減ったって言ってたって増えるわけでもないし、どうするんだいってんだぁってことで。。。。。。 審査機関と受審組織との協議会ですかぁ・・・それも中小企業を巻き込めた場というのはス・テ・キだなぁ。。。 組織も客だぞ!って言っている割にはフツーは審査機関に弱いし、対等に議論ができることは必要ですねぇ。 (オイオイ、対等に議論するっていう6シグマはずれはフツーじゃないですから) 仔豚も、審査機関と一緒になってよい審査ができるにはという相談をする機会を画策中です。なんだったら酒を酌み交わしながら双方で言いたいことを言い合う企画ってどうですかぁ。 うちの出入りの業者のマネージャーさん。美味しい物があれば出席するかも・・・・
朋友です。。。 最近、審査の有効性って、どうすんだろうって考えてます。。 この言葉に、含まれる範囲。。 認証審査制度の有効性(国内、海外) 規格の有効性 審査機関の審査の有効性 受審組織の有効さへの認識 なんか、規格だけでやろうとしても駄目だと。。。 EUは、大陸各国でのUKASの活動を禁止する法律をこさえた。 各国の品質は、各国の責任で、樹立するようにしたいのかなと、おもいます。。 品質は、産業活動の基本要件だし、他国の干渉をうけないものかも。。 UKASの考える品質etc。と、日本の戦後国力をささえた、根性による、”品質”は、相容れない。。 木村艦長に英辞郎・訳してもらった、PAS220(食品安全・前提条件プログラム)の翻訳テューニングとパワポ作りに、会社にきてます。。 蒸し暑い部屋に、私一人しかいない。。。 夕飯ぐらい、さそってくれないものかと、寂しいです。 今夜は徹夜でがんばるぞ。
朋友です。。。 私は、77年に24歳で、社会人に成りました。。。。 そのときの製造部長さんは、陸軍士官学校二番で卒業、砲兵連隊長さん、満州で捕虜になり、抑留七年。。。 54歳くらいでした。。 すこし、私は英語ができたので、親会社経由の外人が工場にくると、通訳の真似事をしました。。 その元連隊長さんいわく、僕は、惜しいところで、卒業二番で、天皇陛下の恩賜の軍刀をもらえなかった。 陸軍だから、英語は今一だったけど、大砲をうつのに、サイン、コサインの表は、全部暗記してたって。。。。(地球の自転のため) 父上は、海軍造艦中将で横須賀で育ったとか。。反発して陸軍仕官学校へ。 (凄い秀才です。。英語も相当できたはず) その方が言うには、この年(54歳)で、始めて、戦中の部下の数と同じになった。2500人くらい。。。 ねえ。。悪い時代だろ、君と同じ年齢で、2500人の命を預かる不公平な社会は、とんでもない。。。。 私にも荷が重かった。。。もう戦争は嫌だ。。 部下を引き連れ、満州をさまよったらしい。 私の父も、シベリア帰りでした、77年当時、父は、54歳くらいでした。。手榴弾二発を貰い、自殺寸前だっようです。 こんなすごい、死線をかいくぐった年代が工場幹部でした。 現場の幹部工員さんも、半端じゃない。。 だから、戦後派の、団塊の世代も、僕たちも頑張った。。。 戦中派は、本当に、究極的に優しかった。。 部下の生活、人生、昇格や家庭生活にまで、配慮してた。。。。 職場を離れても心配し、支援してくれた。 きっと、怪我して歩けない部下の兵士を、シベリアの野原に、自殺用の手榴弾を渡して、置いて来た辛さと、二重になってると思います。。。 戦後の品質向上には、こうした死線を掻い潜るに等しい努力、我慢があったとおもいます。。。 アホ臭いQC発表だって、まじめに取り組んだぜ。。資料作りは、徹夜だった。 小泉さん竹中さんの経済政策で、物作り現場が、おかしくなった。 派遣労働者だって、戦友なのに、先に切り捨てるのでは、 トヨタ生産も限界にきます。。一体感の欠如。。 一分に一台の組立ラインの作業の肉体的精神的辛さって、経験してみれば分かります。。 社員も期間工も派遣行員も、みな、同じ仲間。。 一体感が、なくなったら、ナットの締め付けトルクは緩めになるよ。 僕は、どうしても、割り切れない。。。 今は、深夜の二時、こんな能書きたれてる場合でないです。。
暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう
ですね。
登録数が減った減ったって言ってたって増えるわけでもないし、どうするんだいってんだぁってことで。。。。。。
審査機関と受審組織との協議会ですかぁ・・・それも中小企業を巻き込めた場というのはス・テ・キだなぁ。。。
組織も客だぞ!って言っている割にはフツーは審査機関に弱いし、対等に議論ができることは必要ですねぇ。
(オイオイ、対等に議論するっていう6シグマはずれはフツーじゃないですから)
仔豚も、審査機関と一緒になってよい審査ができるにはという相談をする機会を画策中です。なんだったら酒を酌み交わしながら双方で言いたいことを言い合う企画ってどうですかぁ。
うちの出入りの業者のマネージャーさん。美味しい物があれば出席するかも・・・・
迷える仔豚さんへ
<なんだったら酒を酌み交わしながら双方で言いたいことを言い合う企画ってどうですかぁ。
ヤッパ、最初はお酒の席がいいですかね。そうかもしれませんね。
朋友です。。。
最近、審査の有効性って、どうすんだろうって考えてます。。
この言葉に、含まれる範囲。。
認証審査制度の有効性(国内、海外)
規格の有効性
審査機関の審査の有効性
受審組織の有効さへの認識
なんか、規格だけでやろうとしても駄目だと。。。
EUは、大陸各国でのUKASの活動を禁止する法律をこさえた。
各国の品質は、各国の責任で、樹立するようにしたいのかなと、おもいます。。
品質は、産業活動の基本要件だし、他国の干渉をうけないものかも。。
UKASの考える品質etc。と、日本の戦後国力をささえた、根性による、”品質”は、相容れない。。
木村艦長に英辞郎・訳してもらった、PAS220(食品安全・前提条件プログラム)の翻訳テューニングとパワポ作りに、会社にきてます。。
蒸し暑い部屋に、私一人しかいない。。。
夕飯ぐらい、さそってくれないものかと、寂しいです。
今夜は徹夜でがんばるぞ。
朋友さんへ
<今夜は徹夜でがんばるぞ。
たぶん朋友さんって僕と同じくらいの年齢だと思うけど、すごいパワーだね。
朋友です。。。
私は、77年に24歳で、社会人に成りました。。。。
そのときの製造部長さんは、陸軍士官学校二番で卒業、砲兵連隊長さん、満州で捕虜になり、抑留七年。。。
54歳くらいでした。。
すこし、私は英語ができたので、親会社経由の外人が工場にくると、通訳の真似事をしました。。
その元連隊長さんいわく、僕は、惜しいところで、卒業二番で、天皇陛下の恩賜の軍刀をもらえなかった。
陸軍だから、英語は今一だったけど、大砲をうつのに、サイン、コサインの表は、全部暗記してたって。。。。(地球の自転のため)
父上は、海軍造艦中将で横須賀で育ったとか。。反発して陸軍仕官学校へ。
(凄い秀才です。。英語も相当できたはず)
その方が言うには、この年(54歳)で、始めて、戦中の部下の数と同じになった。2500人くらい。。。
ねえ。。悪い時代だろ、君と同じ年齢で、2500人の命を預かる不公平な社会は、とんでもない。。。。
私にも荷が重かった。。。もう戦争は嫌だ。。
部下を引き連れ、満州をさまよったらしい。
私の父も、シベリア帰りでした、77年当時、父は、54歳くらいでした。。手榴弾二発を貰い、自殺寸前だっようです。
こんなすごい、死線をかいくぐった年代が工場幹部でした。
現場の幹部工員さんも、半端じゃない。。
だから、戦後派の、団塊の世代も、僕たちも頑張った。。。
戦中派は、本当に、究極的に優しかった。。
部下の生活、人生、昇格や家庭生活にまで、配慮してた。。。。
職場を離れても心配し、支援してくれた。
きっと、怪我して歩けない部下の兵士を、シベリアの野原に、自殺用の手榴弾を渡して、置いて来た辛さと、二重になってると思います。。。
戦後の品質向上には、こうした死線を掻い潜るに等しい努力、我慢があったとおもいます。。。
アホ臭いQC発表だって、まじめに取り組んだぜ。。資料作りは、徹夜だった。
小泉さん竹中さんの経済政策で、物作り現場が、おかしくなった。
派遣労働者だって、戦友なのに、先に切り捨てるのでは、
トヨタ生産も限界にきます。。一体感の欠如。。
一分に一台の組立ラインの作業の肉体的精神的辛さって、経験してみれば分かります。。
社員も期間工も派遣行員も、みな、同じ仲間。。
一体感が、なくなったら、ナットの締め付けトルクは緩めになるよ。
僕は、どうしても、割り切れない。。。
今は、深夜の二時、こんな能書きたれてる場合でないです。。