クライマーズ・ハイ

まだ「新聞記者」があこがれの職業だった時代です。
大学を卒業して、すぐに奈良新聞に入りました。
入社試験を申し込んだとき、「試験代」を請求されたので、
「あれ、変な会社だな」と思いました。
正式入社前の新人研修では、社主の自宅の庭の草抜きをさせられました。
このとき、「ちょっと、おかしいぞ、この新聞社」と思いました。

入社して数ヶ月すると、遅配になりました。
(遅配というのは、給料が給料日よりも遅れて支給されることです)
最初の夏、ボーナスはゼロでした。
新入社員の半分は、夏ごろまでに辞めていきました。
私も入社した年の年末に退社しました。

私が最初に配属されたのは販売部でした。
編集希望で試験を受けたのですが、
そのころ私は大学で山岳部の部長をやっていて、
異常に元気だったので、
これは後から聞いた話ですが、
面接試験で販売部長が私に目を付け、
「こいつは一番体力がありそうだ」と決めたらしいのです。

販売部は、新聞販売店へのルートセールスを行う部署です。
といっても、販売の仕事は一部で、いろんな雑用をやります。
奈良新聞主催の軟式野球リーグ戦というのも販売部の仕事でした。
そのリーグ戦に参加する野球部の部員は、
全員奈良新聞を購読することが参加条件でした。
いわゆる野球との抱き合わせ販売です。
このリーグ選は毎週日曜日に行われるので、
販売部は週休ゼロ(土曜日は出勤日でした)。
休みなしに毎日働かされるので、まさに体力勝負でした。

映画「クライマーズ・ハイ」に販売部員が過労のため、
クモ膜下出血で倒れるシーンが出てきますが、
あそこで描かれるいる話は、
まさに当時の地方新聞社の実態だったと思います。
えげつない社主や販売部長が映画に登場しますが、
本当にソックリな人が実在していました。

当時の私はどうだったかというと、若かったし独身だったので、
あまり悲愴感はありませんでした。
毎晩夜遅くから同僚と飲む安酒がうまかったし、
販売店の店主もときどき飲みにつれてってくれたし。
ただ、毎週日曜日に早く起きなければならないのが、ちょっと。
早朝から会社の車にベースとチョークとライン引きを積み、
手配したグラウンドに向かいます。
グラウンドにラインを引いたりベースを配置したりしている間に、
野球チームの人がぞろぞろ集まってきます。
みんなが楽しそうにキャッチボールを始めると、
「ああ、俺もやりたいなー」と、いつも思ってました。
試合後、野球チームの人たちと一緒に飲みいくのも楽しかったですね。
で、少々アルコールが入った状態で、社に戻り、記事を書きます。
販売部なのに、ちょっとした野球記事を書くのです。
編集部は、抱き合わせ販売目的の記事なんか書いてくれませんから。

遅配が続いて家賃が払えなくなったので辞めましたが、
そうでなければ、独身のうちは奈良新聞で働いていたと思います。
新聞社というと編集部のみに関心が集まりますが、
華々しい編集部の活動を根っこで支えている1つに、
暗黒的どろどろ営業の販売部があります。
「清濁併せ持つ」という言葉は、
地方新聞社のためにあるのではないでしょうか。
もっともこれは25年くらい前の新聞社観ですが。